やない製麺の「匠」たち


高橋がやない製麺に入社した一九六〇(昭和三十五)年は乾麺の製造法が、全国的に機械麺に切り替わる時期だった。

当社も例外ではなく、高橋が入社が入って間もなく、伝統的な手のべ製法から機械製麺に変わった。

しかし、数十年経た一九七七(昭和五十二)年、当時社長箭内芳雄の方針で手のべ製法が復活したとき「手縒めん」製造に力を尽くすことになった。


「のび」に歩調合わせ

工場の朝は早い。家々の電気が消えて間もない午前二時、小麦粉と塩水がミキサーに入り、原料をこねて生地を作る工程が始まる。

一見なにげない作業に見えるが、ここで塩濃度や加水量が適正にならないと思うような作業ができず、高い品質を保つのに苦労する。

すこしの天候、気温の変化で適量が変わり、毎日が真剣勝負になる。


 「麺とともに息をあわせて、1日をすごさせてもらう魅力がある。」


味の記憶

入社した年の四月二十四日、当時工場があった森合の愛宕神社のお祭りがあり、現在の会長から唐風麺と記させた麺をいただいた。

細くきれいな手のべ素麺だったが、とてもおいしく、思い出して食べたくなる味だった。

再び思い出の味を口にするのは、「手緩り麺」 として手べ製法が復活する一九七七(昭和五十二)年まで待たなければならなかった。

手間も時間もかかる思い出の味だが、「お客さんに、やないの麺はおいしいと言われるのが一番うれしい。築いてきた伝統を守り、伝えていきたい」



※掲載内容は 福島民友記事 2004/4月/5日より抜粋